背135cmのいたずら書き

背135cm,体重29kgの青い目の小人のいたずら書き

運が良いと自覚している人は、自分がリラックスしていると自覚している人

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ご縁あってたくさんの方たちとお話する機会があります。
私は色んな思考をもった、多種多様な方とお話したり経験をともにすることが大好きです。

私にとって相性が合う方は、お会いしている最中、色んな発想をぽんぽんと湧き出させてくださる方です。(自分が活性化している感じ)

お相手はたぶん気づかれていないだろうけど。

逆に相性があんまりだなーと思う時、新しい発想より、知っている感覚が私の中をよぎる時。
自分の内でクリエイトしている感覚がない時です。

お相手はとっても呼吸が浅く、緊張ぎみです。

 

自分の背中(潜在的な自分)は自分では見れません。
もし傷が背中にあったら、他人から教えてもらうのが効率がいいですよね。
自分を知るには、他人と交流をすることが大事です。

 

他人と交流するのが極端に疲れてしまう方は、もしかしたら、緊張してしまうから。
相手のペースに巻き込まれてしまうからではないでしょうか。

いつだって主体は自分です。
誰に会う時も、有名人に会う時だって、自分のままでいていいのです。
反応をしなくていいのです。
分からなければじっと黙っていていいのです。

色んな方と交流して分かったことは、
他人との交流がうまい方は運をつかみやすい傾向にあります。
運は人とのつながりで生まれることが多いからです。

そして、交流が上手い方って皆さんとってもリラックスされています。

リラックスしているから、余計な反応をしなくていいわけです。
適切なタイミングを伺い知れます。
リラックスしているから相手に巻き込まれません。疲れないんですね。

 

リラックスするには自律神経を整えることと思っている私です。
(自律神経を整えることについてはこれから書いていきたいと思っています)

 

昔あるテレビ番組で運が良い人悪い人(自覚によって選別)を徹底的に調査した結果、
運が良いと自覚している人は、自分がリラックスしていると自覚している人でもありました。

 

やはり!と思いました。

皆さんのまわりにいる運が良い人を観察してみてください。
みんなどこかリラックスしていませんか?

 

自律神経を整えてリラックスするには、自律神経がたくさん通っている目を整える方法があります。(目を酷使する現代人ですから)

蛍光灯にピカピカと照らされるオフィス、蛍光灯にピカピカと照らされるデパート、蛍光灯にピカピカと照らされる電車。
お高い家具を買わなくとも、白熱灯にするだけで部屋はガラッと変わり気分転換にもオススメです。
白熱灯にJAZZなんていかがでしょうか?

 


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もちろん持っているものを生かした時、生きやすくなる

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もちろん他人が持っているものばかり羨ましがっていたら、生きづらくなります。

 

生きるのがつらい、生きるのに疲れたと思う人は現代相当数いるのではないでしょうか。

 

私も障がいを嘆き悲しんでいたら、生きるのがつらいというループにはまってしまうかもしれません。

 

理不尽な差別を受けることは多いですし、街を歩いていても失礼な言葉をわざわ浴びさせる大人もいます。

子供は正直だから私の体形を見て「なんで小さいの?」と正直な質問をします

その時、私は「あなたの方が小さいよ、なんで小さいの?」と聞き返します。すると、子供はたいてい「わからない」と言います。

いい答えですね、そう私自身もなぜ身体が小さいか分かりません。

「私も大人だけどなぜ身体が小さいか自分で分からない」と正直に答えます。

すると、子供はどこか納得します。

 

そんな私ですが、生きることがつらいと思ったことはありません。

(嘘です、100億回くらいあります)

そんな私ですが、生きることがつらいと今はほとんど思いません。

 

それは、持っているものを最大限生かそうと思っているからです。

私なりにできることを探り行動するだけです。

 

死はいつのまにかやってきます。

生きている時間というのは案外短いものです。

だから、やってみるだけのことです。

やれば自分のことが分かるようになりますし、次の行動が出てきます。

失敗をすれば、失敗をリカバリーする能力がつきます。

リカバリー能力が身につけば、失敗を怖がることがなくなります。

すると、行動をすることが成功につながるということが分かるようになります。

(成功という定義は人それぞれですが)

 

そこで自分を生かす為にヒントとなる一冊をご紹介致します。

 

 

生まれもった身体の癖、生まれもった精神の癖がどうやら人間にはありそうです。

誰かがうまくいった方法が、自分にとってうまくいくとは限りません。

一人一人の道があります。

 

自分の生まれもった身体の癖を読みとき、どう日常に生かしていくか。

そういう視点で書かれた本です。

 

【身体にきく―「体癖」を活かす整体法 (文春文庫)】

 

どんな自分の側面に光をあてて生きていきますか?

今日は、何も感じないことを見つけてみよう

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もし、丁度よくない度数のメガネをつけたら

メガネが気になるし、色んなことが気に障ります。

 

丁度いい度数のメガネをつけた時、きっと何も感じないのではないでしょうか。

メガネのこと、目のこと。

 

自分にとって丁度いいものって

メガネに限らず、いいもわるいも感じていないことが私の場合多いのですが

みなさんはいかがでしょうか?

 

いいわるいを感じでしまうものって、ちょっとした拍子にいいがわるいに、わるいがいいに入れ替わってしまうことがある。

 

何も感じないものって、ちょっと物足りないけれど、それはぴったりと馴染んでいるからという見方もあるような気がします。

 

人生はそのぴったり丁度いいものを探す旅だと思っています。

 

そして、それを見つけた時、それはちょっと物足りなく、何も感じないに近いような印象を持つかもしれません。

 

時々刺激をわきに置いて、そんなどこにでもありそうな、何も感じない大事なことを探してみることは面白いです。

何の為に生きるのか、障がい者が感じる生きることの意味

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私の趣味はThe人間観察です(笑)

学生時代、体育の時間は全て見学で、みんなの動きを観察していました。

美術大学を卒業し、大きな会社にも勤めました、恋愛もしました、失敗もしました、笑いもしました、うんこもしています。

色んな経験を持つ人と話もしましたし、経験も共にしました。

だた、身体の都合上みんなと同じにできないことも存在しています。
その時は観察するか、想像で埋め合わせをしています。

自分の経験を誰かの経験と比べることはできないので、
私のそれが、どーのこーのということではありません。
自分にあることをただ生かすだけのことです。
そこに優劣はないのかもしれません。

私なりの視点でそこから感じたことを語ってみたいと思います、
本日は何の為に生きるのか、生きることの意味についてです。

何の為に生きるのか、生きることの意味は答えがあるようでない
なのに
答えを求めてしまう種類の問いですね。

答えはないという答え。
答えらしきものはそして一人一人違うもの。

答えを求めるのではなく、
その問いをわざわざする時の状況を考えてみました。

この問いをしていた時、私はひどく疲れていたし
私は生きている実感がありませんでした。

私は休息をして
私は身体を整えました。

それでもやはりこの問いは私にあります。

でも、問いは同じようでいて質は幾分変化したように思います。

かりに天職が見つかったとしても
その問いはもしかしたらまだあるかもしれません。

天職が生きることの意味ではないとも思うからです。
(でも、充実感があるかもしれません)
(でも、人は年を取り、いつまでも職が続けられるとは限りません)

多くの人が天職を得て、
それでお金を得ることができればそれが幸せだと思うかもしれません。

でも、考えてみてください。
天職が見つかる人はどれくらいいるでしょう。
天職の基準はなんでしょうか?お金を楽に得ることでしょうか?楽しいことでしょうか?

どんな仕事にも責任がともないます。
楽しい仕事が楽とは限りません。お金が稼げるとも限りません。

天職とは一体なんでしょうか。

私は休息をして
身体を整えました。

・今あるものを大事にすること。
・行き詰まっているのならまず今の場所でやり方を変えてみること。
(生命の危機があれば逃げることですが)
・目の前にあるものを丁寧に見て、行動すること。
・身体を労わること。
(身体の健康が精神を強くすることがあるからです)

何の為に生きるのか、生きることの意味を私は未だ問う時があります。

そして残念なことに、まだ答えは見つかっていません。

だた言えることは、行動している分、不安は薄くなりました。
持ち物は非常に少ないけれど、
身体と精神が喜んでいる為、生きる意味を無暗に問わなくなりました。

私の場合、死ぬ時に答えが分かるのかもしれません。

その時まで、身体を大事に、環境を大事に生きることなのかなと思ったりします。

そして、その問をするのが人間だけなのではとも考えます。
動物や植物はその問なしに命あるかぎり生を全うしています。
その潔い清々しさは、言葉がなくても、存在そのものでやわらかさをくれます。

何の為に生きるのか、生きることの意味を問うた時
それは、方向性を変える為の小さな印かもしれません。

それはただの印で、その問いを持ち続けることはあまり意味がないといえば
意味がないのかもしれません。

何の為に生きるのか、生きることの意味を問うた時
それは、方向性を変える為の小さな印なのかもしれません。

目の青い私

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骨形成不全症という障害は約2~3万人に1人の確立で発生する障がいで、
約6000人の患者さんがいるようです。
その内2/3の方が車いすで生活をされているようです。

私はちなみに自分の足で歩いていますので
障がいの程度としては、軽度の方かもしれません。

背は135cm、体重29kgで、37歳、かなり世の中的には浮いた見た目です。

目の白目の部分は濃い青です。
(この障がいを持つ一部の方がそうです)

さて、どうでしょうか。

小人みたいな目の青い私が目の前にいたら、少しびっくりするでしょうか。

嫌悪感をおぼえるでしょうか。

それとも、何も思わないでしょうか。

職場の新人として入ってきたらどうでしょうか。

めんどくさいと思うでしょうか。

友達になってみたいと思うでしょうか。

骨が折れやすい、奇妙な見た目の私ですが旅行が好きで、
ロサンゼルスに2ヶ月程行ったり、アメリカのシャスタ山に行ったりしました。
国内の旅もとても好きです。(ページ上部の写真はシャスタ山に行ってきた時のものです)

障がいだからといって、何かを諦めるのではなく
なるべく色々な経験をしてみたいと思っています。

骨が折れても、不意に命がなくなったとしても。

だって、当たり前だけれど人生は一回きりだからです。

 

障がい者として生まれ死ぬまで生きること

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骨形成不全症という先天性の障がいをもって生まれてきました。

 

骨が極端にもろい病気です。

私は今まで5回ほど骨折をしました。(この病気ではかなり少ない方です)

2年前に肩甲骨を折ったのが最後です。

 

現在37歳(女)で背は135cm(身体検査測定値)です。

一日6時間のパートをしながら、たまにグラフィックデザインの仕事をして

一人暮らしをしています。

 

見た目が一般的(?)な方と違うため、時々不便な目にあいます。

でも、それは仕方がないことです。

まわりに障がいを持った方がいなければ、どうしていいか分からないはずだからです。

 

生きることは時に面倒です。生きることは時に幸せです。

それは障がい者の方でなくてもそうではないでしょうか。

 

物事は一つの側面だけではなく、二つ以上の側面があるはずです。

 

刹那の時間の中で感じ得たことを、いたずら書きするようなブログ(予定)にしたいと思っています。

 

まだこの先どうなるか分かりません。

やって変更し、やって変更しの繰り返しで成長できればいいなと思います。